和歌山県高野口町パイルのふるさと

この地方は高野山の門前町として発展して、町の中心を流れる紀ノ川の水運と豊富な水を利用して古くから繊維産業とくに表面に糸や毛が出るようにつくられたパイル織物の産地です。

 

703年 大宝3年 紀州における繊維産業の始まり (停布調献糸)

814年 弘仁7年 空海高野山に上り伽藍建設が始まる

江戸時代~大正時代

繊維産地としての歴史は古く、江戸時代の木綿織物に始まり、その独特な織物は明治時代に入り、川上ネル(西洋アザミの実で毛羽立たせて、 パイル調にしていたもの)と呼ばれ飛躍的な発展を遂げました。

そして明治初期、この地域が世界で唯一のパイルファブリック産地となったルーツである「再織(さいおり)」と呼ばれる特殊織物の製法を前田安助氏が創案し、それ以降はその生産に転換していきました。

再織とは、世界的にもチェコスロバキアやスコットランド以外に類の無い手工業的な織物であり、当時の外国商館よりカーテン、テーブルクロスなどの注文を受け、アメリカに輸出されて好評を博した特殊織物でした。

 「再織」(シェニール織)

一度織り上げた生地をタテに細く裁断し、モール状の糸を作ります。そのモール状の糸を、今度は横糸に使用し、再度織り上げることから、「再織」(再び織る)

その後大正時代に入り、より新しい織物の研究が繰り返され、西山定吉氏によりシール織物が考案されて、量産可能な機械化時代に突入。(シール織コート)

昭和の始めには、ドイツから二重パイル織機が導入され、産地は戦前の最盛期を迎えました。

 

昭和時代

パイルの素材は当初、木綿、絹、人絹糸、羊毛が多く用いられていましたが、昭和中期には合成繊維の開発、技術進歩による織(編)機の進化(レピア織機、ラッセル機、ハイパイル機、シンカーパイル丸編み機等)、市民生活の洋風化等の時代背景も重なり、当産地も飛躍的な発展を遂げました。

 

そして現在

既存の用途であるアパレル、寝装品、インテリア、車両関係、雑貨、玩具等は勿論、近年は産業資材向けのパイルファブリックも開発され、更なる新規用途開発に向けて積極的に活動しています。

現場で働く「ここにしかいない職人達」の手により、先人たちが積み上げてきた「ここにしかない技術」をさらに昇華させ、時代に求められるモノづくりを、日々続けています。

国内シール織(編みの)唯一の産地を形成しています。

 

出典:紀州繊維工業協同組合 より抜粋