戊辰戦争に負けた仙台藩、亘理支藩は領地を25000石余からわずか58石に減らされてしまい、この地に住み続けるには南部藩の農民となるしか方法がないという厳しい状況に追い込まれてしまいます。
悩む伊達邦成に、家老の常盤新九郎(後の田村顕允)は、「このままこの地にとどまり祖先の名を汚すより、みんなで蝦夷地に移住し、新しい町を作りましょう」といいました。
邦成は、問題がたくさんあるけれど、蝦夷地への移住を決意したのです。
早速、常盤新九郎は明治2年8月、上京して亘理伊達家が自費で蝦夷地に移住して開拓することを政府にお願いしました。
政府も、早く蝦夷地を開拓することが必要だと考えていたので、賛成してくれました。
そうして邦成は新しく胆振国有珠郡の一帯の土地をもらい受け、本格的な移住開拓に乗り出すことができました。
9月18日、邦成は亘理伊達家の菩提寺である大雄寺に家臣を集め、有珠郡一帯の開拓許可を国から受けたことと、それにむけての決意を発表しました。
家臣は、涙を流して二度とこの土地へ帰らないと覚悟したと伝えられています。
伊達市では、開拓の許可が出た明治2年8月23日を開基の日と定めて、毎年この日を開基記念日としています。(伊達市こどもホームページより抜粋)













コメントをお書きください
羽生光明 (金曜日, 11 4月 2025 06:18)
私の母は旧姓清野。北海道伊達出身です。先祖は亘理伊達家の家来であったと言っていました。興味があって色々と検索しています。
澁谷 榮一 (火曜日, 23 9月 2025 19:22)
私も北海道伊達出身です。
私の先祖も亘理伊達家の家臣、第3回の移住です。
伊達の私の生家のお隣が「清野さん」でした。
もしかしたら、移住当時のご近所だんだったのかもしれませんね。
大杉哲広 (火曜日, 23 9月 2025 19:49)
時代とはいえ 移住した皆様の勇気と苦労に心を打たれます。いつまでも残していかなけらばならない日本人の思いです。
二階堂建司 (木曜日, 19 3月 2026 16:56)
弊方の祖祖父二階堂喜代人は、明治元年生まれで北海道の開拓農民として、石狩当別に渡りそこから、黒松内に移住しました。弊方が小学生の頃、祖祖父喜代人の妻で祖祖母のしげより、先祖は裃袴でお城に登城し、殿様に歌とソロバンを教えていた話をよく聞かされました。そこで現在は、二階堂のルーツを解き明かそうと、亘理町郷土資料館の森田様に連絡をとり、祖祖父喜代人の父傳五郎と亘理伊達家の家臣、勘左衛門との関係を調査依頼しております。
何か詳細が解りましたらお電話頂きたく電話番号は、090-2490-3408です。