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岩科学校 鶴の間 松崎町 

1879年4月に着工し、1880年(明治13年)9月に竣工。総工費2630円66銭のうち、4割余りを住民の寄付でまかなった。地元の大工棟梁・菊地丑太郎、高木久五郎の設計施工による擬洋風建築である。玄関上の唐破風など寺社建築の要素に加え、なまこ壁やアーチ窓、半円バルコニーが組み合わせられている。平面は、和風2階建の中央棟の左右から副舎一棟ずつがはりだしたコの時型をしている。正面玄関に掲げられた「岩科学校」の扁額は、太政大臣・三条実美の書である。

松崎町は左官の名工で工芸家であった入江長八の出身地で、2階の和室には代表作「千羽鶴」の鏝絵が残されている。扁額上の龍の彫刻も長八の作と伝えられている。また、開化亭の玄関天井や旧西座敷の天井に描かれた鏝絵は長八の高弟・佐藤甚三が制作したものである Wikipediaから抜粋しています。

裁縫室に138羽の鶴がしっくい芸術で描かれています。138羽は当時の児童の人数ではないかとのことです。このような部屋で裁縫を習う、当時の姿を思うと、感動します。